「森友問題」全文公開された「自殺職員手記」についての整理と考察(後編)―手記の考察

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架空小説「仮名手本森友学園」

前回記事”「森友問題」全文公開された「自殺職員手記」についての整理と考察(前編)―手記の要旨[2020/03/22]”からの続き

「手記には新事実がないから再調査しない」と言っている人間がいるようだが、それは手記を読んでいないウソつきか、その発言は「手記はすべて事実」と認めることなることに気付かないバカか、のどちらかだろう。

後半となる今回の記事では、前編でまとめた要旨を元に、内容について考察してみたい。

「手記」の構成について

本来なら、手記が書かれたパソコンの履歴から、書かれた時系列がある程度分かるのだろうが、現時点ではその情報がないため、手記の内容から、推測することとする。

まず手記のおおまかな構成を整理すると、次のようになる。

タイトル・日時「手記 平成30年2月(作成中)」
〇はじめに
1.森友学園問題
2.全ては本省主導
2.(1)国会対応
2.(2)国会議員への説明
2.(3)会計検査院への対応
2.(4)財務省の虚偽答弁
2.(疑問)
3.財務省は前代未聞の「虚偽」を貫く
4.決裁文書の修正(差し替え)
〇刑事罰、懲戒処分を受けるべき者
〇(最後に)

[最後の「〇(最後に)」は原文にはなく、明確な区分はありませんが、便宜上、筆者により追記しました。また、構成の段落や表現は、一部、筆者により判断して、加工して表記し、整理しています。(2020/03/22現在)]

手記の構成は、内容を見ても時系列に沿った流れになっており、各章のテーマに合った事実の証言とそこからの結論を出し、論理的に並べられている。

タイトル日時には「(作成中)」とあり、また、おそらく心身にダメージを負っておられた状態の中で書かれたものであることが想像できるものの、内容としては、ある程度の完成度も持ったものだと言えるだろう。

「手記」の細かな二つの矛盾点

ただ、前回記事で指摘したように、細かい点だが、二点、時系列で校正が必要ではないかと思われる点がある。

それは、

・タイトル日時が「平成30年2月(作成中)」なのに「その後本日(3月7日現在)」(上記4.)と3月の内容も入っている点
・「当初の平成29年3月の時点では、全ての資料を議員に示して事実を説明するという姿勢」(上記2.(2))については、時系列からして3月ではなく2月では?

である。

前者については、単に、2月から書き始めたものが、3月に入って、当初のタイトル日時を訂正する前に断筆となった、というだけのことかもしれない。

後者については、事実確認が必要なので、少し説明する。
近畿財務局で改ざんが始まったのは、手記の「4.決裁文書の修正(差し替え)」で述べられているように、2月26日の日曜日からである。つまり、2月末の時点で「全ての資料を議員に示して事実を説明するという姿勢」は崩れていた。それなのに、「当初の平成29年3月時点では」と書いたのは、2月の間違いである可能性がある。(ただ、単に、書き間違いだという可能性と、決裁文書の国会提出要求が3/2にあり、近畿財務局では3/3以降に各種決裁文書をスキャンして本省に送付していることから、まだこの時点では(近畿財務局では)「説明するという姿勢」を持っていたと解釈した可能性は否定できない。)[財務省、森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に係る調査報告書、平成30年6月4日。p26-27、PDFページ29-30]

これらの二点は、本筋に関係ない、作成途中の細かな誤りに過ぎないと見ることも可能だ。

矛盾点からの一つの仮説

ただ、この二点を矛盾ではなく意味を持った間違いだと仮定したとき、ある仮説を立てることができる。

その仮説は、

赤木氏は、平成30年2月の時点では、改ざんの事実の公表をするのに躊躇していた

というものだ。

手記には、「平成30年2月(途中)」とあるので、まとまって書きだしたのは2月であることは予測できる。そして、順に書き進め、「2.(2)」で「当初の平成29年3月の時点では、全ての資料を議員に示して事実を説明するという姿勢」と書いたが、この3月という記述は、のちの、「4.」での2月26日から「差し替え」作業を行っているという内容と矛盾することになる。

この矛盾は、赤木氏であれば気づくだろうと思える間違いだ。それに気づかなかったのは、心身が傷ついた状態であっただけでなく、この時点では、改ざん作業のことを書くのを迷っていたからではないだろうか。

つまり当初は、「3.」までで手記を終わらせるつもりだったのではないか、という推測だ。

そうしてみると、2の文末でいったん、「<疑問>」という段落を作り、3で財務省の虚偽を糾弾して、改ざんのことは触れずに、終わらせていてもおかしくない構成だったことに気付く。

ところが、実際には、3月2日に朝日新聞による報道があり、財務省が「書き換え」を認めていない状況の3月7日に、赤木氏は手記を書き加えたうえで、当日、自死された。

その3/2の報道と3/7の状況については、手記の「4.」に書き加えられている。自死する直前まで、手記に手を入れていたことが分かる。

「4.」では、「書き換え」について相当詳しい内容が、具体的日時を入れて書かれており、ある程度は事前に準備していた可能性が高い。また、「大阪地検特捜部はこの事実関係をすべて知っています」という記述からも、ある程度の予測はしていたのだろう。

報道をきっかけに、手記に組み込むことを決心し、まとめたものの、未だに財務省が認めないので、絶望に追い込まれ、自死を選ばざるを得なかった、と、以上の仮説からは推測される。

もちろんこれは、手記の二か所だけの矛盾点から導き出した推測であり、憶測でしかない。これが、生者による死者への冒涜になっていないかを恐れる。

何が追い込んだのか?

死者への冒涜になることを恐れた上で、それでも推測せずにいられないのは、何が直接的なきっかけだったのか、という点だ。

単純な人間であれば「報道が追い込んだ」となるのだろうが、実態は、「報道されても認めない政府・財務省に絶望した」だろう。

念のために時系列を説明すると、佐川国税庁長官が、長官就任後初めて記者団の前に現れて辞任表明するのは、赤木氏の死去の後だ。財務省が「書き換え」を認めるのもさらにその次の週の月曜日である。

仮に上で示したの私の仮説が正しければ、赤木氏は、平成30年2月中は、法律相談文書に関する麻生大臣や太田理財局長(当時)の虚偽答弁が明らかであるのだから、みんなに分かって欲しい、と思いながら手記を書いていただろう。この明らかな虚偽を許しているのなら、さらに重い改ざんの罪などを明らかにすることなどできない。なぜ、財務省は罪を認めないのか。

そんな状況で、3/2に、改ざん報道が出た。赤木氏は、ついに出たという気持ちと、政府や財務省が正直に語ってくれることを期待したのではないか。ところが、週が明けて水曜日になっても政府や財務省は改ざんを認めない。美並局長はすべての責任を持つと言っていたのに。どうしてか、なぜ。

人は信じていたものに裏切られた時に絶望に陥る。報道されて5日たってもなお改ざんを認めない政府・財務省・近畿財務局・一部のマスコミたちに対しては、絶望しかなかったであろう。その心境を想像した時、心苦しくなる。

その意味では、「俺たちが殺したんだ。俺とお前たちとが」。

心弱い人間が自殺をするのではない。心と頭が弱い人間であれば、単純に何も考えずに安倍支持をしていれば、肉体的な自殺はしないだろう。(ただそれは、精神的な自殺ではあるが。) 公務員としての自負を持ち、強い責任感を持っていた(持ち過ぎていた)からこその、自死であったと言えるだろう。

私は、死によって主義主張が通されてはならないと考えている。だからこそ、この問題は私たちの手で解決しなければならない。

改めてご冥福をお祈りするとともに、森友問題は決して終わっていないことを誓いたい。


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