読売新聞の「時代の証言者」はやっぱりすごい

2023/6/8読売新聞朝刊に連載中の「時代の証言者」で、読売新聞熟読者(自称)の私としては、思わず「証言」したくなる内容が載っていた。(その内容については後述)

読売新聞を読んでいない人にとって(あるいは読んでいる人にとっても)、

「”時代の証言者”って何?」

という感想かもしれないが、よくたとえられるのが、

「日本経済新聞でいう”私の履歴書”」

だ。

良くも悪くも、著名人が新聞で1か月ほどかけて半生を振り返って連日語るコラムの代名詞としては、日本経済新聞の「私の履歴書」の方が知名度が高いように思える(個人の感想です)。

おそらく、テレビゲームはすべて「ファミコン」、コンビニはどの店舗も「ローソン」、100円ショップをすべて「ダイソー」、新聞朝刊1面コラムをすべて「天声人語」、と言ってしまう高齢の知り合いのように(年齢・地域差があります)、「時代の証言者」のことを指しながら「私の履歴書」と悪意なく言ってくる人は、数多くいることだろう。(個人の感想です)

正直、私も、「時代の証言者」の連載が始まったときは、「ああ、読売版の『私の履歴書』ね」と、すぐに連想した。(個人の当時の環境による感想です。なお、以下は、事実確認無しの、当時の個人的なうろ覚えの感想がだらだらと続きますのでご注意ください。)

読売新聞の「私の履歴書」じゃなかった「時代の証言者」のコーナーで、対象となる人物が変わって改めて連載が始まるたびに、

「あれ、この人、もう『私の履歴書』で語っていなかったっけ? 内容に既視感が」
「この人は出てなかったと思うけど、『時代の証言者』に出たせいで、『私の履歴書』に出られなくなったりしないのかな」
「ビッグネームは両方に出て(被って)当然だろうけど、両社の連載で一定期間を置いたりの暗黙の調整とかあるのかな」
「何となくだけど、この人は『時代の証言者』には出れるけど、『私の履歴書』には出れない人の予感」

、などと、勝手な感想を繰り返していた。(当時の個人の妄想です)

「時代の証言者」には様々な人が出ていた。

よく知っていて興味の湧く著名人だからより深く知りたい、あるいは逆に、寡聞にしてよく知らない人だけど読んでみたら興味深くてもっと知りたい、などの理由で、連日朝刊が待ち遠しく読ませていただいた連載もあれば、新聞を毎日読んでいる習慣上、目を通すものの知ってることの繰り返しだったり興味が湧かなかったりなど、とりあえずの流し見で記憶に残らず読み終えた連載もある。(個人の認知度と興味度によるものです)。

今現在(当ブログ記事公開2023/06/09時点)の連載は、伊吹文明氏という人のようだ。その連載についての私の個人的な感想はここでは横に置いておくとして、私が思わず「証言」したくなったのは、

関係者の方々がすでにお話しになっているので、私も証言します。福田さんには読売新聞の渡辺恒雄主筆から「この政情で国会が混乱していては国益を損なうので、大連立を考えては。具体的には政治家同士で話してほしい」という打診があったそうです。

読売新聞朝刊2023年6月8日。「時代の証言者」、”保守の旅路 伊吹文明 29「大連立」一転 対立激化”、大阪本社版13s教育・投書面10面。

のところだ。

ここで、この記述に倣って、「関係者の方々(誰?)がすでにお話しになっているので、読売新聞熟読者を自称する私も証言する」・・・ほどの事ではないかもしれないが、この「大連立での渡辺主筆」の件については、過去、当ブログでも、「証言」してきた。読売新聞がこの件をどう扱ってきたのか、読売新聞を「熟読」してきた一読者として「証言」したい。

以前、2021年7月23日読売新聞朝刊に、「渡辺主筆」についての記事が載っていたので、当時私もメモしていた。その読売記事に対する当時の個人的な感想は、

「読売新聞の本社主筆の渡辺氏が、NHKの番組で語った「舞台裏」の内容を、読売新聞が引用する、という、よく分からない骨格」[当ブログ記事”今日も読売新聞はやっぱりすごい(2021年下半期)”「・2021/07/23(木)朝刊総合面2面」(参照2023-06-08)]

というものだった。

この時の記事は、渡辺氏が99年の自自連立の仕掛け人だったことを(NHKの番組で)明かした、という、「読売新聞読者以外ならみんな知ってた」というものだったが(個人の感想です)、なぜか自民党と民主党との大連立構想の方は記事では触れていなかったので、私は、そういえば「時代の証言者」森喜朗編では渡辺氏の名前を出していたような、といった趣旨の、うろ覚えの記憶を呼び起こしたことを、当時メモしておいた。[同上](以上はうろ覚えの個人的な記憶なので、正確さを保証するものではありません。)

そして今回の記事を読んで思い出したのは、

「この件、確か森喜朗編では、肩書無しで『渡辺恒雄』と出していた記憶があるのだが、今回は『読売新聞の渡辺恒雄主筆』とはっきり肩書を出しているな」

ということだった。(個人のうろ覚えの記憶による「証言」ですので、間違っていたらゴメンナサイ、以下同様)

この違いは何なのだろうか?

森喜朗編のときは、確か、「渡辺恒雄」とだけ「証言」していた(はずだ)が、今回は、はっきりと「読売新聞の渡辺恒雄主筆」と書いている。

森喜朗編の時は、「熟読」していないと読み流してしまう記述の仕方だったが、今回の伊吹文明編では、はっきりと「読売新聞の主筆」と分かるように書かれている。

まるで、森喜朗編の当時は読売紙(だけ)では報道していなかった内容で隠したいことだからこそっと書いていたのに(みんな知ってるけど)、今現在になってこれ見よがしに強調している。まるで、「わが社の主筆」が政治的な動きをしていたことが手柄であるかのように誇らしげに。

そもそもだが、伊吹氏はインタビュー時に、「読売新聞の渡辺恒雄主筆」と、そのままズバリの表現したのだろうか。実際の状況で、読売新聞社の記者である聞き手に対して、その会社の主筆のことをわざわざ所属と肩書付きで表現するだろうか。しかも、「ナベツネ」との愛称でおなじみの人物についてわざわざフルネームと肩書付きで。その違和感からすれば、今回の「時代の証言者」では、伊吹氏が表現した内容を、記者が「読売新聞の渡辺恒雄主筆」と校正して記事を構成した可能性は高い。(更生した個人の憶測です)

そう解釈(読売紙の記者がわざわざ「読売新聞の渡辺恒雄主筆」と表現したという仮説)するのなら、読売新聞(の記者)の(今現在の)認識は、過去自らの新聞社の主筆が政治的な仕掛人として動いていたことを、隠す必要もないと判断し、今では悪いとも何とも思っていない、ことの「証言」にならないか。

まるで、過去は「報道の新聞社の人間が、政治的な仕掛人として動いていた」ということを恥ずかしいと思って黙っていたのに、今現在はそれを恥ずかしいとも思わず逆に強調して見せびらかす、そんな「証言」を、「時代の証言者」で「証言」しているかのような、読売新聞社はやっぱりすごい。

とかなんとかで、いずれにせよ、これからも、読売新聞の「私の履歴書」には期待したい。

(聞き手:わたし)

※:当記事は、当ブログ記事”読売新聞の「編集手帳」と「よみうり寸評」はやっぱりすごい”をセルフ参照?しています。特に意味はありません。

追記:気になったので、当時の森喜朗編での表記が実際どうだったのか、ネット検索しようとしたら、紙面画像は見つかりませんでしたが、読売新聞オンライン(読売新聞オンライン : ニュース&お得サイト (yomiuri.co.jp))で「時代の証言者」の過去の連載も見れることに(今さら)気づきました。(一部記事は新聞定期購読と会員登録が必要)
問題の部分を探すと見つかり、

福田内閣が参院のねじれで苦労していた時、読売新聞の渡辺恒雄さんから私に連絡がありました。

[時代の証言者]楽苦美宰相の道 森喜朗<26>「小泉は本気」サイン出す : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)、記事ページでは「2015/08/18 15:00」「(編集委員 望月公一)」と表記。(読者会員限定)(参照2023-06-09)

と表現されていました。
私の記憶では、肩書無しの「渡辺恒雄」と書いたあったと思っていましたが、実際は「読売新聞の渡辺恒雄さん」であり、思い違いしていたようです。ゴメンナサイ。
ただ、「主筆」という「肩書」を付けずに表現していたことは確認できたので、(私の思っていたのとは少し違っていましたが)「当時は主筆という肩書を外して表現していたけど今は堂々と「主筆」と肩書を付けて表現している」という趣旨は当ブログ記事の本文からでも解釈できますので、記事本文はそのままにしておきます。あと、当時の実際の記事紙面は確認していないことを、お断りしておきます。(悪あがきというかメンドクサイというか)。


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