エピローグ 30年後 安倍晋三記念老人ホーム - 「やすらげないの郷」に集う関係者たち

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架空小説「仮名手本森友学園」

205X年。

先代に続く陛下のご退位と新天皇のご即位が、国民の総意の元、つつがなく行われた。

それからしばらくして、豊中市の、とある老人ホームに、新たな仲間が加わった。

新天皇即位に伴う恩赦により、予定より短い刑期で巣鴨から出獄したA夫妻が、行き場もなく、この老人ホームが受け入れることになったのだ。

架空小説「仮名手本森友学園」

「あら、官野(仮名)さん、今日は取材だったかしら」

「ああ、理事長さん、いつも父がお世話になっております。おかげさまで、A夫妻の取材は今日の分で一区切りつきそうです」

「あら、そう、それはよかった」

そう答えながら、理事長は、A夫妻を受け入れたときのことを思い出していた。

A夫妻と言えば、

  • 「私邸に帰りたい」と散々ごねたこと
  • すでに廃刊になりネット配信のみとなった「3K新聞」を毎朝持って来いと要求したこと
  • 了承を得てネット配信の「3K新聞」を毎朝プリントアウトして渡すようにしたものの、読んでいないことが分かって、関係者の相談と了承を得て、毎朝、同じ新聞を渡すようにしても気づくことなく問題なかったこと
  • その癖、談話室に毎朝届けられる「朝目新聞」(仮名)を読んでいる人に、「何が書いてあるのですか?」としつこく聞いていたこと
  • 定期訪問の幼稚園児との交流会で、園児たちが声をそろえてお礼を言うと、夫人は目に涙を浮かべるのに、夫はつまらなそうな顔をしていること

・・・理事長は思い出しながら、苦笑いを浮かべた。

A夫妻の入所にあたっては、職員から懸念の声が上がっていたが、最終的に、理事長が受け入れることを決定した。

A夫妻はまちがいなく「厄介な入所者」であり、すでに暮らしている入所者たちとはいわくつきの関係でもあったので不安はあった。だが事前に、入所者たちに聞き取りを行ったところ、反対するものはなく、むしろ逆に積極的に受け入れるべきだ、との意見が強かった。中には、「A夫妻こそ、この老人ホームに欠けていた最後のピースだ」と言う入所者もいた。

この老人ホームが建つ土地は、かつて「安倍晋三記念小学校」を巡る疑惑になった現場だった。この土地は、二転三転したのち、競売に売り出され、公平な入札の末、理事長が建物ごと競り落とした。当たり前のことだが、売り手である国も、落札価格を公表した。

理事長自身は、自分の両親が不正に巻き込まれたこの土地にはかかわりたくなかった。だが、老いて元気がなくなって記憶も弱くなってしまった両親が、この土地と建物を見たときに、一時的に元気になって記憶を戻すのを見て、この土地と建物で、老人ホームを運営することを決心した。

言ってみれば、自分の両親のために老人ホームを立てたのだった。

だが、運命の必然というべきか、かつて「安倍晋三記念小学校」に関わった人間たちが、この老人ホームに魅かれるように、終の棲家として、次々と入所を希望した。中には、引き取り手もなく厄介払いのように追い出された末にやって来た人もいた。だが理事長は、拒まず受け入れてきた。その人たちに会うと両親が懐かしそうにする、という理由もあった。

そうしているうちに、誰が言ったか知らないが、ここは「安倍晋三記念老人ホーム」と呼ばれるようになった。もちろん正式名称でもなく、本人に許可を取ることもなかったが。

その後、A夫妻が入所するようになって、歓迎式を開いたとき、ある入所者(たぶん「イマイ(経産)」さんだったと思う)が、プロジェクションマッピングで建物の壁に「安倍晋三記念老人ホーム」の文字を浮かび上がらせた。A夫妻はまんざらでもない様子だったが、翌日その文字が消えていたのに気づいて怒りだした。職員がプロジェクションマッピングの説明を何度しても理解できなかったのに、「プロジェクションマッピングはPMのことですよ」というと、理由はわからないが納得したようだった。

A夫妻に限らず、他の入所者も、一癖も二癖もあった。

  • 敷地の庭を勝手に掘り始めるグループと3m以上進むとそれを阻止するグループ
  • 何かあると「朝目新聞のせいだ」というグループ(先日は一人1個のプリンを2個食べようとして注意されたときに「朝目新聞のせいだ」と言っていた)
  • 入所者同士で「最近あなたにはお見舞いが来ないね」と言われて「来てるけど、記録に残っていないだけだ」と揉めること(ちゃんと入館記録は取っています)
  • 共同浴場の更衣室に「時計泥棒に注意」と勝手に張り紙を貼られたこと(時計泥棒さんにはきつく注意しましたが反省が見えないのが気がかりです)
  • ニュースを見た後、毎回「カトさんをなぜ取り上げないんだ」とストップウォッチ片手に抗議するグループ

・・・などなど、思い起こせば数えきれないほど。

ただ、それで騒ぎがあるたびに、自分の両親がウキウキしているのを見て、

(まあ、いいか)

と受け入れることにしてきた。

そんなことを思い出しながら、理事長は、先ほどA夫妻の聞き取りを終えたという人物に、話を続けた。

「この後は、お父様のお見舞いに?」

「はい、もっぱら、話を聞くだけですけど」

「でもそれも、立派なお見舞いですよ」

などと世間話をして、この人物は会釈をした後、官野(仮名)がいる部屋へ向かっていった。

その背中を見ながら、理事長は、

(官野さんと違って、お子さんは丁寧な方ね。ジャーナリストととして立派に育ちになられて・・・)

と感慨深く見守った。この人物は、すでに、ジャーナリストとして実績を積んでいて、独自の取材と報道で、世間から尊敬の念をもって「ジャーナリスト」と呼ばれ、本人も否定せずその名称をうけいれていた。「著述家」を名乗る親が、子が「ジャーナリスト」と呼ばれていることをどう思っているかは、分からなかったが。

(親子だから似るのか、親子だから似ないのか)

そう思いながら、いつしか、自分の環境に照らし合わせていることに気づき、苦笑いした。

(あの人も親でいろいろ苦労したんでしょうね)

そう思いながら、理事長室に戻った。

理事長室で、いつもの業務を終えた後、総務より依頼があった。

それは、「老人ホーム」の記念パンフレットに、理事長の言葉を載せるので、あいさつ文を書いてほしい、ということだった。

AIによって示された無難なあいさつ文を丸写しにすることもできたが、理事長は少し考えこんで、最後に文章を付け加えた。


最後になりましたが、われわれの老人ホームの名前の誕生の瞬間について、お話しさせていただきます。

名称の候補はいくつもあって、どれがいいかは決め切れませんでした。正式名称の提出の前日、困った私は「りじちょー」(私の親の愛称です。こう呼ぶと昔の記憶が呼び戻るので)に聞きました。

「りじちょー、ホームの名前は何とします?」

「決まっているだろう。国民と共に老人ホームよ」

こうして、われわれの老人ホームは、船出しました。

皆様と共に、これからも長い航海を続けていくことを誓います。

205X年。民主主義の老闘士たちに囲まれた一室にて

社会福祉法人 国民と共に老人ホーム 理事長 籠沼(仮名)○○


お断り

本作は、ネット、ワイドショー、雑誌、新聞等のメディアから得た情報をもとに偏見と妄想を広げた完全フィクションです。本文に登場する人物・団体は、すべて架空のものであり、実在の人物・団体と一切関係がありません。
時代設定も、じつは室町時代です。もし、偶然同姓同名の場合は、奇跡的な偶然とはいえ、ただただ平謝りします。ただし、政府・官邸関係者に対しては、本作は「怪文書なので、いちいち真偽を確かめない」はずですし、否定できる行政文書を公開しない限り対応の取りようがございませんので、あしからず。
真偽は公開されている参考文献から自分自身で判断してください。

「物語を通しての主な参考文献(個別の参考文献は各章に記載)」

・登場人物たちに似た名前の人たちのSNS媒体
・各新聞社・テレビ局の森友学園疑惑特集
・2ちゃんねる掲示板「ニュース速報+」、「政治版+」ほか森友学園関係スレッド
・上記からのリンク先。

物語のはじめは→架空小説「仮名手本森友学園」-はじめに

カテゴリー:架空小説「森友学園」

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