「森友問題」(番外編)改ざん後も反省なき組織の末路-大阪府警の場合

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架空小説「仮名手本森友学園」

一匹の妖怪が日本中を徘徊している。- 改ざんという妖怪が。

今回の記事を書こうとした時、ふと、思いついたのは、有名な「共産党宣言」のフレーズをもじったものだった。

あらゆる分野での改ざんが、「またか」というように報道されている。

森友問題における財務省の決裁文書改ざんを筆頭に、厚生労働省による働き方改革の調査データ改ざんと毎月勤労統計の改ざん、法務省による失踪外国人技能実習生の調査票結果の改ざん、製造業では、自動車メーカーによる検査改ざん、素材メーカーによる品質データ改ざんなど、幅広い分野で、改ざんが行き渡っている。

アベノミクスでは、経済上のトリクルダウン効果を、安倍首相当人が「そんなことを言っていない」と否定したそうだが、

改ざんのトリクルダウン効果

は、日本中、上から下まで隅々まで行き渡り、不幸にも実現したようだ。

この問題が深刻なのは、底が見えないことだ。

改ざんが発覚したのは「過去の事例」であるが、そこから反省せずに対処・改善ができなかった場合には、それがまた、新たな改ざんを生み出す原因となってしまう。言ってみれば、時系列の点でも、過去から未来へと、改ざんというトリクルダウンは止まらない。

森友問題では、財務省による決裁文書改ざんという、「歴史への犯罪」が行われた。それに対する、政府・財務省の反省は、希薄だ。

過去にも、トップが改ざんに向き合わず、ゆっくりと信頼を失っていった組織がいくつか存在する。

今回は、その中の一つ、大阪府警を例にとって、改ざんに対して真摯な反省のない組織がどのようになるのかを、紹介したい。

[当ブログ記事は、姉妹ブログ「はじめはみんな初心者だった」のブログ記事「改ざん社会の末路―大阪府警を参考に」(2019/01/16公開)を加筆・修正したものです]

1.改ざんと大阪府警

「大阪府警 改ざん」

と言ってもすぐにピンと来ないかもしれない。

検索してみても、「大阪地検」の方の改ざん事件や、耐震偽装の改ざんで庁舎が対象に含まれていた件などが、ヒットした。[2019/01/22時点の個人的な検索結果]

大阪府警にしてみれば、無関係の「もらい事故」のような「とばっちり」の話だが、今回取り上げるのは、実際に当事者である、

大阪府警における犯罪認知件数過少報告

の件だ。

検索結果からも分かるように、記憶にない人も多いと思うので、改めて説明すると、この件は、2014年7月30日に、大阪府警から発表され、ニュースで報道された。だが、ほとんどのニュース配信サイトでは、過去のニュースなので見れなくなっている(無料配信分)。ただ、検索したところ、以下のサイトで、当時の内容を確認することができた。

The Huffington Post 、”大阪府警、犯罪8万件を計上せず「ワースト返上」とウソ 橋下大阪市長が「おわび」”、2014年08月01日 15時20分 JST 。 https://www.huffingtonpost.jp/2014/07/31/osaka-police_n_5640151.html (参照2019-01-22)

要点は、以下の通り。

  • 2008年、橋下氏が大阪府知事に就任した年に「街頭犯罪ワースト1返上」を言及したことから、府警全体で街頭犯罪抑止が最重要課題に
  • 府警独自のルールで、各署の担当者が、府警本部と警察庁に送信する件数を減らしていた
  • 今回の過少計上に対して、懲戒処分はせず、注意と業務指導

参考までに、大阪府警のホームページ(http://www.police.pref.osaka.jp/)では、この件での詳しい情報を得られなかった。
(サイト内検索「過少計上」で、3件ヒットしたが、いずれも警察署協議会会議録[阿倍野署のPDFとHTML、曽根崎署のPDF]で、「当署でもあった」程度の報告のみ。また、「大阪府下の犯罪統計」(ホーム>生活安全>大阪府下の犯罪統計、http://www.police.pref.osaka.jp/05bouhan/tokei/index_1.html)には、平成16年から平成30年中までの大阪府下の犯罪統計が載っており、過少計上がされた期間の統計も公表されているが、過少計上による再集計の説明は見受けられない。わずかに、「市町村別」の表の片隅に「作成日:平成28年11月18日」に書いてあるなどの、修正をした痕跡が残っているだけだった。)[以上の確認は、2019-01-22時点]

2.資料管理のずさんな大阪府警

その 認知件数過少計上が公表されて約2か月後の9/26に、大阪府警は、新たな不祥事を公表した。

2012年に捜査資料が放置されているのを発見し、羽曳野署が容疑者を特定しながら捜査を放置し、時効を迎えていたことが分かったのだ。

また、さらに、他の署でも同様の書類が見つかり、詳しく調べているとのことだった。

日本経済新聞、”容疑者特定も捜査を放置 大阪府警、傷害事件で時効成立 ”、2014/9/26。 https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG2603F_W4A920C1CC1000/ (参照2019-01-15)

その調査の進捗情報が、2016/02/01にもなって、ある程度明らかになった。やっとようやく、と言っていいが、それでもまだ、中間報告程度のことだった。

日本経済新聞、”大阪府警、4300事件の捜査資料放置 証拠品など1万点”、2016/2/1 13:51。 https://www.nikkei.com/article/DGXLZO96768420R00C16A2CC0000/ (参照2019-01-22)

そして、当初の予定よりさらに遅れて、最終的に、2016/06/30に、結果を公表することになった。

日本経済新聞、”大阪府警、2270事件で証拠品放置 いずれも時効成立 ”、2016/7/1 5:00。 https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H7E_Q6A630C1CC1000/ (参照2019-01-22)

そして処分については、

放置した関係者を特定できないとして、懲戒処分はなく、

放置のあった61署に業務指導が行われただけだった。 (ちなみに、大阪府下には65署あるが、そのうちの61署で資料の放置が行われていた。)

3.大阪府警の(それ以外の個別の)不祥事

これらの数字の偽装及び捜査資料のずさんな管理が発覚した大阪府警では、その間にも、そしてその後にも、これら以外の不祥事は、いくつもあった。

今思い出せるだけでも、

  • 大阪府警の現職警官が殺人罪で逮捕
  • その件で遺族に対して不適切な言動と対応
  • 沖縄に派遣された大阪府の機動隊員が業務中に不適切発言
  • その不適切発言に対して大阪府知事が無神経なツイート
  • 大阪府警の警官が知人と組んで落とし物の現金をネコババ
  • 富田林署で容疑者に逃亡され、他県の(民間)警備員に確保
  • 逃亡されたときに署員がスマホで不適切な動画を閲覧していた

などだ。

改めてちゃんと調べ直せば、時系列やさらに詳しい内容も整理できるのだろうが、そんな気にはなれない。また、これ以外にもたくさんあるのも分かっているが、改めて調べる気にはなれない。

だが、この、

目を背けたくなる

という感情と、

実際に目を背けている

という事実こそが、改ざんに慣れた社会の「なれの果て」の姿を現しているのである。

4.過去の不祥事を教訓として活かせない大阪府警

一見すると、資料の改ざん・放置と、大阪府警の個々の不祥事は、同じ穴のムジナであり、どっちもどっちで、直接の因果関係は無いように見える。実際、不祥事はいつの時代にも起こっていて、犯罪件数過少報告や捜査資料放置がある前から、大阪府警の不祥事は、ひどいものがいくつもあった。

だが、過去の不祥事においては、当然のことながら、世論の強い反発とそれに乗じた報道がなされ、大阪府警は強い批判にさらされた。そして、大阪府警においても厳重な処分が下されたものだ。そしてそれは強い教訓となっていた。

ところが、改ざんやずさんな資料管理を経て現れた不祥事は、一時、話題になるものの、通り一遍の対応で消費され、時期が過ぎると過去のものになっていっているのが、現実だ。

これは大阪府警だけの問題ではない。大阪府知事、府会議員等の警察を監視すべき被選挙員や、それを選んだ大阪府民、それを報道すべき在阪メディア、これらすべてが、改ざんに慣れてしまった末に、大阪府警の不祥事に麻痺してしまっているのである。

(私がこのことを深く思い知らされたのは、2018年のネコババ事件の報道だ。大阪府の警官ネコババ事件と言えば、30年ほど前、堺南署(当時)の署員が拾得物をネコババした上に、届け出た妊婦に署員ぐるみで責任を押し付けたという、許すまじき事件のことを思い出す。ところが、2018年のネコババ事件は、通り一遍の報道と処分が行われただけで、社会全体が30年前の堺南署ネコババ事件のことを言及する者も、在阪メディアを含め、ほとんどいなかったように思える。)

不祥事はいつの時代でも起こりうる。しかしその不祥事を教訓にできるかどうかは、その時々の人間・組織・社会による。

そして、今の大阪の社会には、大阪府警に対して「さすがに不祥事を教訓にするだろう」という期待すら、消え失せてしまっているのだ 。

5.改ざん社会の末路

誤解を生みやすいが、これは

モラルの低下

といった話ではない。「低下」以前に「モラル」自体が失われているのだ。

どういうことかというと、「低下」であれば、その水準を引き上げるために何らかの目標と努力が自然と湧き上がる。ところが、今の大阪府警に対しては、信頼自体が失われていて、モラルの回復への期待すらされていない。つまり、

モラルの水準が低下したのではなく、モラル自体が失われた

のだ。基準が失われているのに、水準の上げ下げの議論ができるはずがない。

皮肉なことに、大阪府警の不祥事に対する批判は、かつてほど大きくない。これは大阪府警が信頼されているからではなく、端から信頼されていないので、批判するにも値しなくなっているのだ。

(注:逆の面から言えば、大阪府警の当人たちが信頼されていないことを実感すれば、「組織の信頼を守るために隠蔽する」といった言い訳もなくなり、積極的に不祥事を開示する誘因にもなりうる。もちろんこれが意味するのは、信頼されない組織が公権力を持つという、ディストピアだが。)

「モラルの崩壊」というと社会的な混乱が起こっているように見えるが、完全に崩壊してしまったあとでは、それは問題として認識すらされない。というのも、価値判断する基準自体が失われているので、「正しいか正しくないか」すら興味を抱かなくなっているからだ。

それが今の大阪である。

大阪府警で過少計上とずさんな資料管理が発覚したが、それに対する懲戒処分は行われなかった。

犯罪が起こることと、犯罪を罰することは、根本的に異なる。

犯罪が起こることは、治安の悪化であるが、モラルの崩壊ではない。処罰することで、犯罪が悪であるというモラルが守られている。

しかし犯罪を罰しなかったとき、それはモラルの崩壊である。

大阪府警では、数字の改ざんとずさんな資料管理に対する懲戒免職は行われなかった。

こうして大阪のモラルは崩壊し、次々と不祥事が発覚しても、人々は関心を持たず、ニュースとして消費するだけになった。

これが、現在の大阪の姿、改ざん後に行き着いた、改ざんに慣れた社会の末路である。

ただ、こう言ってしまうと元も子もないが、改ざんは、原因ではなく結果に過ぎない。改ざんが明らかになった時点ですでに、「なれの果て」の姿になっている。もう手遅れだったかもしれない。

日本中に吹き荒れる「改ざん」という妖怪。

改ざんが吹き荒れた後の社会は、不祥事に慣れた社会へと化けるだろう。

今の大阪のように。

自らの首を絞めていることに気付かずに。

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