半年たっても「独自」の方法で安倍氏を追悼する読売新聞はやっぱりすごい

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《以上広告アナウンスでした。以下本文》

2023年1月9日(月・祝日)の読売新聞の朝刊に、

安倍氏悼む 半年経ても

読売新聞2023年1月9日朝刊、”同上”、大阪本社版13S社会面31面。

という見出しの記事が載っていた。

新聞を番組欄からめくって1枚目左側の面だ。あの人気4コマ漫画『コボちゃん』(傑作選。当ブログ記事公開時点の情報です。作者の方の健康快復を祈ります)のすぐ隣の欄に、その記事はあった。

『コボちゃん』の隣と言えば、あの「読売新聞出会い系バー報道」がされた位置としても記憶に残っているが(個人の記憶です、当ブログ記事”読売新聞「出会い系バー報道」のここがすごい!”参照)、今回取り上げる記事は、その伝統?を引き継ぐようなものだった。(個人の解釈です)

そんな伝統?ある欄で、安倍氏が亡くなって半年後に、「独自の」方法で記事を載せる読売新聞は、すごい。

注:以下の読売新聞記事についての個人的感想は、主に、配達して届けられた紙面(大阪本社版)を拝読した結果によるものですが、確認や検索のために、読売新聞オンラインの紙面ビューアー(閲覧可能期間は1週間。会員登録が必要)で個人的に保存・記録していた内容を元に、参照・引用先として紹介している場合もあります。

1.これまで読売新聞は容疑者の動機をどう報じてきたか

本題に入る前に、簡単に復習。

安倍氏銃撃事件では、2022年7月8日事件当日に容疑者の動機について警察発表があったようで、読売新聞は、翌7月9日の朝刊で、「捜査関係者によると」とした上で、

(前略)、特定の宗教団体の名前を挙げて不満を述べ、安倍氏に関係していると独自の主張をしている。県警は一方的な思い込みで恨みを募らせたと見ている。

読売新聞2022年7月9日朝刊、”安倍元首相撃たれ死亡 奈良で選挙演説中 元自衛官現行犯逮捕”、大阪本社版13S1面。

と、「独自の主張」と表現している。

ここで読売が、動機について、あえて「独自の主張」と表現したことは、捜査関係者の「独自」の意見なのか、読売新聞記者の「独自」の意見なのかは、記事からはよくわからなかった。(当ブログでの「独自」の見解です)

話は少しそれるが、ニュースサイトで、「独自」と見出しにしながら実質は他社の後追いだったりすることはよくあることだが(このこと自体は他の方も指摘されて過去話題になっていたと思うので当ブログ「独自」の指摘ではありません)、今回の動機について、ざっと検索した限り、「独自の主張」と表現したのは、読売新聞「独自」だった可能性が高い。(他にもこう表現しているメディアがあったかもしれませんが、当時の個人的な記憶と個人によるテキトーな検索結果による個人「独自」の印象です。)

ただ、容疑者の背景が明らかになるにつれ、さすがに読売でも「独自」と使うのは恥ずかしいと思ったのか、「独自の主張」との表現は、これ以降は使われていないようだ。(読売新聞オンラインで個人的に検索した結果によるものです)。

それ以降の、読売新聞による容疑者の犯行動機の記述については、しばらくは、

「余りにも不可解で、論理に飛躍」[読売新聞2022年7月16日朝刊、大阪本社版13S31面。]

「事件による社会的影響よりも自身の目的を優先する身勝手さがにじむ。」[読売新聞2022年7月17日朝刊、大阪本社版14S29面]

などのように、「不可解」「身勝手」などの「※記者個人の感想です」的な注釈が必要になるような記述を挟んだ記事が(記名記事でもコラムでもない社会面の誰が書いたのか読者には分からない事件記事で)垂れ流しにされていた。(個人の感想です)

だが、旧統一教会と安倍氏・政治家のかかわりや、(元)信者・家族たちの苦境が報道されるにつれ、事件から約3週間後の、鑑定留置が記事翌日から行われる記事では、

「動機には論理の飛躍があるとの見方もある」[読売新聞2022年7月24日朝刊、大阪本社版14S36面]

と、動機に「飛躍がある」との見方は、「との見方もある」との表現で、主流ではなくわき役に追いやられてしまったかのような記述に。(個人の感想です)

その後はシンプルに、

「男は『つながりがあると思った安倍氏を狙った』と供述」[読売新聞2022年12月24日朝刊、大阪本社版13S19面]]

といった、記者の感想らしきものは(露骨に)出なくなった表現で、読売新聞として「統一」したようだ。(もっとも、「つながりのある安倍氏」ではなく、「つながりがあると思った安倍氏」と言う表現で、「と思った」の部分はどうしても読売新聞は外したくないような印象は残ったままだ。・・・と、私個人は「思った」。)

2.読売新聞2023年1月9日朝刊社会面の記事

そんなこんなで、読売新聞は「半年たっても追悼されている『と思った』安倍氏の殺害現場記事を掲載」と編集方針を「供述」したかどうかは知らないが、今回の記事を、2023年1月9日朝刊社会面で『コボちゃん』の隣に載せた。

銃撃事件があったのが去年の7月8日で、2023年1月8日でそれから半年となり、現場となった場所に、安倍氏の追悼に人々が姿を見せたという記事。

前半は、事件の概要と、容疑者の鑑定留置と拘留期限が迫っていて今後の見通しが語られ、後半は、現場に来た人へのインタビューが二人分あり、最後は、現場は「3月までに車道が整備される」ことを紹介。

さらに、記事上部には、「安倍元首相が銃撃された現場で手を合わせて空を見上げる女性(8日午前、奈良市で)」のタイトルで写真が掲載されていた。[読売新聞2023年1月9日朝刊、”同上”、大阪本社版13S社会面31面。]

内容的にも時期的にも、何ら違和感のない、極めてオーソドックスな記事だ。

読売新聞2023年1月9日朝刊大阪本社版14版社会面31面の一部。読売オンラインの紙面ビューアー[購読者の会員登録が必要]で表示したものをスクリーンショットして一部切り抜き、引用者によって説明を加えた。著作権とかプライバシーとか諸々の保護のため画像を一部(だいぶ)加工しています。あと、本文とは関係ない個人の感想が含まれているかもしれません。[2023-01-10スクリーンショット、2023-01-15加工]

もちろん、読売新聞を熟読している人にとっては細かいことを言いだせばキリがない(例えば、写真に写っている人たちは見た感じ誰一人アベノマスクしてなさそう、とか、道路に花束置いてあると事故があったのかと思って厳粛に感じるけど知らない人から見ればそんな感じなのかな、とか、そもそも死亡確認されたのは病院でここではなくて遺骨やお墓はここにはないんだろうけどというか今どこにあるのかな、とか、そういえば「死んだら靖国」とかのセリフが好きそうだったけど本人は死んで靖国に行けたのかな、など、いずれも個人のキリがない空想です)が、記事で取り上げたテーマについては、何ら違和感のない、極めてオーソドックスなものだと言えるだろう。

3.不自然なインタビュー記事

そんな極めてオーソドックスな記事なのだが、読んでいて、1カ所、引っかかる点があった。

その経緯については、先に、読売新聞を読んでいて気になったことを個人的にメモする当ブログ記事”今日も読売新聞はやっぱりすごい(2023年上半期)”「・2023/01/09(月)朝刊1面、社会面31面。」で取り上げた。(以下はその時の内容の繰り返しなので、めんどくさい人は次の4まで読み飛ばして結構です)

簡単に言うと、

記事では現場でインタビューしたと思われる人が2人紹介されているが、一人だけ、年齢が表記されていない。

読売新聞2023年1月9日朝刊大阪本社版14版社会面31面の一部。読売オンラインの紙面ビューアー[購読者の会員登録が必要]で表示したものをスクリーンショットして一部切り抜き、該当部分を拡大し引用者によって説明を加えた。著作権とかプライバシーとか諸々の保護のため画像を一部(だいぶ)加工しています。[2023-01-10スクリーンショット、2023-01-11加工]。同上のブログ記事からの再引用(2023-01-13)。

「たかが年齢ぐらいなくても」と思われる方もいるかもしれない。

しかし、新聞での一般人への現場インタビュー記事で、(住所・肩書・氏名が載っているのに)年齢(だけ)が載っていないのは、極めて異例だ。(読売新聞を熟読してきた個人の経験によるものです)。

新聞では、一般の人の意見を紙面に載せる際には、住所・職業・氏名・年齢が、基本的に表記される(読者投稿欄がそうであるように)。それらが表記されることで、実在の人物であることが保証され、でっち上げの架空の人物の意見でないことが担保され、仮に疑いがある場合は調べることができる(反証可能性)。また、紙面には表記されないが、電話番号などの連絡先も、記者は確認して(取材の必要上に限って)記録しておくのが基本だ。(個人の認識です)

一方、公人や組織の広報、また芸能人など有名人の場合は、この証明は(紙面上では基本的に)不要になる。実在することは明らかであり、発言を確認(あるいは当人が反論)する手段も広く取られているのが普通であるからだ。

言い方は悪いが、新聞に、「どこの馬の骨かわからない」一般人の意見を載せる際にはそれなりの裏付けが不可欠だということだ。

もちろん、当人が年齢を非公表を希望するのなら、それを尊重すべきなのは当然である。正直、(私も含めてほとんどの)読者も、掲載されたこの意見を言っている人の細かい年齢など興味ない(だろう)。

ただ、そうであるのなら、年齢以外の住所・肩書・氏名をわざわざ表記する必要はない。年齢だけが表記されていないと、そこが気になってしまう。仮に、どうしても年齢表記ができない理由があったのであれば、この発言の主を、他の情報から第三者が特定できるような表現にせずに「来ていた人に話を聞くと」とだけ表示しておくべきだった。(発言の裏付けの信頼性が落ちてしまうのは仕方がないが)。

そもそも、この人の発言をあえて載せる必要があったのか。

記事全体の構成から見ても、この人の意見がなくでも記事は十分に成立するように思える。仮に、二人分のインタビューが必要だったのであれば、改めて他の人にインタビューして聞けばいいと思うし、何人か聞いていけばその中で同意が取れて似たような発言をしてくれる声はいくらでも取れそうに思うのだが、他にいなかったのだろうか。

こんな不自然な記事を書いた記者(紙面では無記名)と、これを通した編集が何を考えているのか、読売新聞は、謎過ぎてすごい(と私は思っていた。)

4.年齢が表記されない謎を追って行くと・・・

・・・と、この経験を当ブログ記事にメモ書きしようと思って、改めて読売新聞の記事を読み直していたら、ふとした興味心から(魔が差して)、検索をしてしまい、その結果、「驚愕」の「真実」にたどり着くことになる。(ここでアオリ。個人の感想です)

この記事で、年齢(だけ)未表記になる理由について、いろいろと、思いを巡らせてみた。

・記事の『○○さん』の「さん」の部分が数字の3で実はこの人3歳
・記事では安倍さんの年齢も表記されていないから実はこの人も安倍さん同様この世にいない

などとあらゆる可能性を考えてみたのだが、どれも、今一歩のところで、真実味に足りない気がした。

行き詰っていたのだが、公人や有名人などは年齢が未表記になるケースを考えているうちに、ふと、

私が知らないだけで、この人は一般人ではなく、ひょっとして有名人なのか?

と突飛なことを思いついた。

肩書に「会社員」とあるから違うだろう、と思いつつも、芸名(あるいはコンビ名)が「会社員」である可能性等を捨てきれず、念のために有名人ではないことを確認しておこうと思って、その名前で検索をしてしまった。

検索結果の1ページ目をざっと見たところ、読みが同じで漢字違いの(寡聞にして私の知らない)芸能人や、苗字と名前が別々の芸能人がミックスされてヒットしているようでほとんどが人違いのようだったが、その中で、SNSの一つが同姓同名でヒットしていた。いわゆる芸能人じゃないようだが、その時、表示されたのは、政治関連の「つぶやき」のようだった。(個人の検索環境による当時の検索結果です)

この時、私は、

政治的な「つぶやき」が検索でヒットするということは、この人は頻繁に政治的「つぶやき」をする人で、何らかの政治的組織に深く関係する人物の可能性がある。仮に読売がそのような人物だと分かった上で一般人を装ってその主張を載せたのだとしたら、年齢が未表記という異例の処置も含めて、読売新聞の報道姿勢として問題にならないか?

と危惧を覚えた。(今から振り返れば、当時の個人の底の浅い直感に過ぎませんでした)

そして、検索結果に表示された、その人と思われるSNSのリンクをクリックすると、衝撃の事実を知ることになる。(続く、すぐ下に)

5.誘導された「真実」?

注:以下の内容は、「一部、人によってはセンシティブに感じる可能性がある」と筆者が判断し、引用の明示をしていないところがあります。読み進めていけば分かっていただけると思いますが、当ブログでは、「個人の指向」についてどうのこうのいうものではありませんし、すべての人の基本的人権の尊重を絶対に遵守するものです。参照先を明示しなかったことで、中には、「当人が公表しているのになぜ隠すのか?」「隠すことこそが新たな差別だ」などと思われる人がいるかも知れませんが、今回のケースでは、「個人の指向」を問題にしているのではなく、「個人の指向」が新聞メディア等によって(何らかの意図をもって)利用されている可能性が捨てきれないため、引用先の明示をしない判断をしました。

検索結果からリンクされた「つぶやき」では分からなかったが、その本人と思われる「つぶやき」をたどっていくと、あっさり、当人が当日現場に行って読売新聞(の記者と思われる人)にインタビューされ、掲載されたことの「つぶやき」を見つけた。

この人が当人で間違いないなと思いつつも、なんで記事で年齢が表記されていない理由は分からないままだったので、何気なく、プロフィール欄を見ると、年齢云々をフッ飛ばすような記述が目に入った。

「平たく言うと女装です」(プロフィール欄の一部を切り抜き。参照2023-01-15)

念を押しておくが、当記事では、この「個人の指向」を問題にしているのではなく、差別するものでは決してない。また、そこだけを取り上げるのは、本意ではないし、全くの筋違いだ。ただ、当記事を進めていくには必要不可欠だと思い、引用先を明示しない形で、表記することにした。

この記述に衝撃を受けたのは、この一文だけで、読売新聞の今回の記事について、いろいろな可能性が一挙に広がったからだ。そして、また、疑問も大きく膨らんだ。

あくまで、限られた情報での、可能性のレベルでの個人の憶測にすぎないが、

  • 本名なの? 芸名(カタカナのも含めて)の可能性も?
  • 別に本名じゃなくてもかまわないけど活動名であるのなら記事での肩書「会社員」?
  • 別に「会社員」じゃなくてもかまわないけどそれならもっと他に属性として表記する要素がなかったのというツッコミがなかったの?
  • このケースで性別表記に配慮するならわかるが今回はそもそもそれを問うてないし、年齢表記をしない理由にはならんだろ
  • 考えれば考えるほど、読売がこの形で記事に載せた理由がわからん
  • 故安倍氏やその周辺の人物や旧統一教会は、「個人の指向」について差別的だと「思っていた」が・・・、それを逆手に取った主張?

などなど。(個人の感想です)

繰り返すが、この方の「個人の指向」や普段の政治的な「つぶやき」について、問題にするつもりは全くない。(言い方は悪いが、ここで取り上げるほどの内容ではなく、そもそも興味がない)。

読売新聞が、なぜ、不自然な形で、あえて、こういった背景を持つ人(繰り返しますが個人の背景を問題視するものではありません)の声を、記事を載せたのか。

よく分からないのは、発言主の背景を隠すなら隠せばいいのに、中途半端な形で年齢だけ非表示にしたため、返って不自然さが際立ってしまっている。結果的に私はそれに引っかかってしまった。もし、通常通り、記事になんらかの年齢数字も表記されていれば(それが「真実」だったかどうかにかかわらず)そのままスルーしていただろう。

ここまで考えてきて、ふと、思ったのだが、

読売は、わざと、この人の年齢だけを表記しなかった可能性は?

なかったのだろうか。

つまり、わざと読者に違和感を与えるような記述をし、読者自身に調べさせるように、初めからもくろんでいたのでは・・・。

読売は、こう考えていたのかもしれない。

追悼に現場に来ていた「一般人」の中にも、多様な、こんな人たちがいる。安倍氏やその周辺の人物、旧統一教会などの団体が差別的に扱っている「と思われている」「個人の指向」を持った人も、こうして追悼に訪れている。ただ、これを説明するのには、なんて表現すればいいか難しいし、この紙面では足りない。そうだ、年齢を表記しなければ、違和感に気付いた読者は、この人物の背景を調べてくれる。そして、こちら側の意図を酌みとってくれるのでは、賢明な読者なら・・・。

・・・のように。(個人の妄想です)

今から思えば、記事での「年齢だけ未表記」というのは、「他の情報は載せてありますのでどうぞ調べてください」という、読売新聞からのあからさまなメッセージだったかもしれない。見事に私はそれに誘導されたことになる。

こうやって、不自然な記述を装って、「独自」の方法で、読者が「これが真実」「だと思った」と供述させるかのような、読売新聞はやっぱりすごかった・・・。

・・・

・・・えっ、単に、記者がこの人だけ年齢を書き忘れて校正も編集も気づかずにそのまま記事になっただけでは?、って。あの天下の読売新聞がそんなわけ・・・。

そんなこんなで、読売新聞は、『コボちゃん』の隣の記事で、時折、読者に背景を探らせてしまい、やっぱりすごい。


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