読売新聞の翁長沖縄県知事死去についての社説がすごい

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2018年8月8日。沖縄県知事の翁長雄志氏が、亡くなった。謹んで哀悼の意を表したい。

保守出身の政治家でありながら(いや、保守だからこそ)、沖縄県の知事として、沖縄のことを思い、沖縄のために主義主張を貫いた方だったと思う。

「どうせ国には逆らえないから、条件闘争で従えばよい」と、初めからあきらめて国の顔色をうかがうだけのほうが、よっぽど楽なのに、あえていばらの道を選んだのは、保守として、沖縄のためだったのだろう。

ご冥福をお祈りします。

ところで、翁長氏の死去について、読売新聞は2018/08/10朝刊の社説で、

”翁長知事死去 沖縄の基地負担軽減を着実に”

YOMIURI ONLINE、社説、”翁長知事死去 沖縄の基地負担軽減を着実に”、2018年08月10日 06時04分。
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180809-OYT1T50130.html
(参照2018-08-10)

のタイトルで載せていたが、その内容のすごさを、ぜひ紹介したい。

1.読売が残念がった内容がすごい

社説の冒頭は、以下のとおりである。

沖縄県の翁長雄志知事が死去した。強い指導力を印象付ける政治家だっただけに、政府との対立ばかりが前面に出たことが残念である。

[参照同上、以下省略]

断っておくが、これは社説である。事実関係を伝える記事ではない。

通常の記事で、「残念である」という個人的な感想を述べた表現が使われるはずがないので、これは記事ではなく、社説として、文字通り、新聞社としての意見を述べたものである。

その社説の冒頭で、読売新聞が「残念」と述べたのは、「政府との対立ばかりが前面に出たこと」だった。

つまり、読売新聞が「残念」だと思ったのは、翁長氏が死去したことではなく、「政府との対立ばかりが前面に出たこと」なのである。

翁長氏の死去が分かった時間から、今回の社説の締め切りまで、おそらく1日半もなかったであろう。

その社説の冒頭に、沖縄県知事在職中の死去の残念さではなく、政府と対立したことを残念がる文を、真っ先に載せる読売新聞は、やっぱりすごい。

2.悼んでいるようで悼んでいない読売新聞のテクニックがすごい

といっても、「読売新聞は冒頭に死去を悼んでいないだけで、本文中に翁長氏の死去を悼んでいるだろう」と、常識的には、思うだろう。私もそう思っていた。

だが、読売新聞は、その常識を上回った(下回った)。

読み進めると、冒頭の文に続いて、翁長氏ががんの手術を受け、治療を受けながらも公務を続けていた事実関係を記し、辺野古移設反対で、政府と対立していたことを、記していた。

その文に続けて、

菅官房長官は記者会見で、立場の違いを認めつつ「信念の強い方だった」と冥福を祈った。

とあった。

その後の文章は、翁長氏が知事選で当選してからの流れをかいつまんで書いてあり、今後の判断、「辺野古移設しかない」という読売(政府)の主張、選挙の見通しと争点の(読売の)願望を書いて、社説は終わっている。

以上である。

念のため読み返したが、今回の読売新聞の社説は、翁長氏の死去に対しては、一言も弔意を述べていない。

つまり、読売は社説で、翁長氏が「政府と対立したこと」を残念がり、菅官房長官が記者会見で冥福を祈った、と事実関係を出しただけで、読売新聞自身は社説で、翁長氏の死去を悼む言葉を全く残していないのである。

まさかとおもうが、「政府高官の言葉 = 読売新聞の言葉」であるから、菅官房長の発言を引用したことをもって、読売としての弔意は述べているとでもいうのだろうか。

あるいは、社説で悼む言葉を出すと、どこかからにらまれるので、政府高官が述べた弔文をそのまま記すことでしか、(間接的な)弔意を示せないのだろうか。

国内の現職知事の死去に対して、まるで、どこかの対立する独裁国家の首脳が死去したかのような表現をした社説を載せる、読売新聞はやっぱりすごい。

3.読売は「辺野古移設しかない」としか言えないのか

これまで、読売新聞(政府)は、「辺野古移設しかない」と言い、混乱の元凶は「鳩山政権の県外移設公約」と言ってきた。

実際、「辺野古移設しかない」立場からすれば、「県外移設公約」など、余計な発言でしかなかった。

しかし、実現しなかったとはいえ、「県外移設公約」は、沖縄県の保守の心に火をつけたであろう。

「県内移設を当たり前のように思っていたが、それは当たり前ではない—」

これは、読売や政府にこそ、言い聞かせなければならない言葉ではないだろうか。

誤解を受けないように断っておくが、私は、日本の外交の基軸は、日米同盟にある、という当たり前の常識を持っている。

日米同盟を基軸に考えているからこそ、アメリカのトランプ大統領就任はチャンスだった。

トランプ氏が、駐留経費の見直し等に言及した際、日本側もそれに乗って、様々な要求をするべきだった。もちろん普天間移設もそうだが、地位協定の改定なども含めて、改善するチャンスであった。(さらに言えば、それに連動させて、北方領土交渉に関しても、ロシア側に在日米軍を返還後に駐留させない条件を具体化することで、領土交渉を動かすチャンスもあった。)

ところが、安倍政権のやったことは、トランプ詣でをして、現状維持の説得をするだけで、改善を提案するチャンスをみすみす逃した。(北方領土交渉に関しても安倍外交は無残な結果である。)

外交に求められるのは、外交のために国内を一致させるのではなく、国内対立さえも、それを利用して外交に活かす能力である。安倍政権にはその能力が欠けていて、逆に国内の一致を強要するために外交を利用している。国賊とは誰のことか。

読売の今回の社説は、「政府との対立」を残念がるだけで、「国内の対立」を外交に利用するしたたかさこそが外交手腕であることに思いもよらないようだ。

だがこれが、「現職知事の死去に対して弔意を示さないクソ新聞」という悪評をあえて受けることで、「自ら(政府)の主張もクソである」と思わせる、(私ごときには思いもよらない)読売新聞の高等手段だったのかもしれない。

そんなことを考えさせる読売新聞はやっぱりすごいなあ。

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