占いで「○○座は交通事故に注意」と出たとき、初心者はどう対処したか

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《以上広告アナウンスでした。以下本文》

持っているもの
  • 占いがあればつい見てしまう習慣
  • 悪い占いだと「聞かなきゃよかった」と気にしてしまう性格
  • 「予言の自己成就」と聞くと意識してしまう性格
持ってないもの
  • 占いを100%信じ切れる心
  • 「たかが占い、気にしない」と言い切れる心

「占いを信じますか?」と聞かれると、ちょっと身構えてしまう。もし相手が、駅前で「アナタはカミをシンジマスカ」的な感じで話しかけてくる知らない人だったら、忙しいので、と言って無視をするだろう。あるいは親しい人に聞かれたなら、「なんだもったいぶって、いい占いでも出たのか」と聞き返す。問題は、まだ相手が知り合い程度の人に聞かれた時だ。単なる世間話か、それともそこから宗教的な勧誘に引き込もうとしているのか。そういう時、

「あまり占いは信じない。けど、雑誌とかに出てるとつい見ちゃう」

という、無難な答えを導き出した経緯を勝手に報告する。

1.確率から見た「○○座は交通事故に注意」

獅子座を例にして考える。(注:獅子座を例にしましたが、特に深い意味はなく、アニメ「聖闘士星矢」の12星座をモチーフにした黄金聖闘士のシリーズを見たら主人公が獅子座だったので、とりあえずこれにしました)。

おおざっぱな計算をすれば、獅子座に当てはまる日本人は、約1千万人(日本の人口÷12星座)。

この1千万人の獅子座に対して、「獅子座の人は交通事故に注意」と占いに出たとする。

では、獅子座が交通事故に遭遇する確率と、それ以外の星座が交通事故に遭遇する確率に、差はあるのだろうか。

正確な検証をするためには、まず様々な定義をする必要がある。

  • 「交通事故」の定義。死亡事故だけに限るのか。あるいは人身事故、物損事故、警察に報告されない程度のケガも含むのか。
  • 星座別人口の正確な定義。
  • 年齢・性別・地域別などの他の要因の定義。

ここまでくると、もう手に負えない。仮に、占いの指定した期間に交通事故にあった人が全員獅子座であったら、「占いスゴイ」になるが、そうでなければ検証は不可能だ。

では逆に、実際に事故にあった人から、逆算してみよう。

残念ながら、交通事故にあう人は、今の日本には、毎日のようにいる。その事故にあった人が獅子座である確率は、単純に予想すれば12分の1だ。
12人いれば1人は獅子座である確率だ。間近な警察庁の交通事故の統計資料を見れば、平成29年8月の交通事故発生件数は、1270件だった。

警察庁交通局交通企画課、「交通事故統計(平成29年8月末)」、2017年9月15日公表 。政府統計の総合窓口e‐Stat>交通事故統計>月次>2017年8月、2908月報.pdf。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001191823
(参照2017-10-13)

この8月に事故にあった人の内、獅子座である確率上の人数は、おおざっぱに言えば105.8人(1270÷12)が推定される数字になる。

これは獅子座に限らず、他の星座も同様の計算で、同じ数字が出てくる。

2017年8月に、特定の星座の人が、(警察庁の定義する)「交通事故」に合ったのは、100人ぐらい実際にいるということだ。

もし、この100人の内、事前に「8月、○○座は交通事故に注意」との占いを見ていた場合、あるいは事故後にその占いを知った場合、「占いが当たっている」と思うのも当然であろう。ただし、それは、該当する星座の人、約10000000人のうちの100人である(約0.001%)。しかもそれはほかの星座でも同等の確率で存在する。

確率的に見れば、交通事故にあう人は存在し、それが特定の星座であることもありうる。ただ、絶対数で言えば、交通事故に合わない人の方が断然多い。それが星座のせいであることの証明はできない。

言えるのは、どの星座だろうが、交通事故にあう可能性はゼロではなく、どの星座にも事故に実際にあう人が存在するということだ。

「○○座は交通事故に注意」という統計を取ることが難しく、確率的に検証は不可能で、数学上では何の根拠もないと言えるだろう。

2.万能な占い「○○座は交通事故に注意」

そもそも、「交通事故に注意」という言葉は、「交通事故にあう」とイコールではない。注意によって避けられる可能性も含んでいる。

これは検証不可能な言葉の使い方であり、「交通事故にあわなかった」という事実も、「占いで注意していたから避けられた。占いのおかげだ」と言い張れる。

つまり、「交通事故に注意」という占いに対して、

  • 何もなかった人 → 「占いで注意していたおかげで避けられた」
  • ヒヤリとする場面があった人 → 「占いで注意していたから紙一重で助かった」
  • 実際に事故にあった人 → 「占いどおり」

というように、すべてのケースで当てはめることができる。

逆に言えば、占い師は、「×月、○○座は交通事故に注意」と占えば、99.999%の「事故にあわなかった人」あるいは「ヒヤリとする体験があった人」に対しては、「占いのおかげで避けることができた」と言い訳ができ、0.001%の実際に事故にあった人に対し「占いどおり」と言ってのけることができるのだ。

もし、これが悪意ある占い師であれば、何の根拠もなく「○○座は交通事故に注意」と言って、星座とは関係なくごくわずかな確率で事故にあった○○座の人に弱みに付け込み、金銭その他を巻き上げる可能性は否定できない。詐欺師にとっては、他の何千万人をだませなくても、たった一人をだませしてそこからお金を巻き上げればそれで成功だからだ。これを防ぐのは、周囲の人々、社会全体の役割である。

3.でも気になる占い

平穏な日常生活をしていると、自分は交通事故とは関係ない、と思ってしまうが、可能性はゼロではない。かといって、気にしすぎて、交通事故を避けるために外出を控えることになってしまうと、日常生活に支障が出る。

「占いなど確率的に無意味」、とわかっていても、気にしてしまう。たとえ、確率的に0.001%でも、その事故にあった当事者としては、取り返しのつかない大きな出来事だからだ。

確率的なことで考えると、例えば天気予報で、

「降水確率が何%で傘を持っていくか」

という問いに対し、どう対処するか。

降水確率100%で傘を持っていくのは当然だが、では90%、80%と割合を下げていき、どの段階で、傘が折り畳みに代わり、どの段階で手ぶらで行くことになるかだ。(実際には、空模様、荷物の量、外出先の予定等々、の要因が重なって、傘を持っていくがどうかを判断することになるが。)

仮に「降水確率0.001%」と言われれば、傘は持って行く気にならないだろう。

しかし、「交通事故の確率0.001%」と言われれば、注意しようと思う。

この差は、たとえわずかな確率でも、仮に当たった場合の被害が大きすぎるかどうかの差である。

万一、天気予報が外れて雨にぬれても、「天気予報外れてびしょぬれになった」と文句を言う程度で済む。

一方、交通事故は、状況によっては生死にかかわるので、たとえどんな小さな確率でも絶対に避けたい、と思う。

そのため、わずかな確率だとしても、「○○座は交通事故に注意」と言われると、気にしてしまう。

4.心の持ちよう

「確率論的に無意味だ」という論理と、「万一、当たったらどうしよう」という不安は、誰にでも混在する。

「確率論的に無意味だ」と強がって、交通ルールを気にせず出歩けば、それだけで、交通事故にあう確率が高まってしまう。

一方で、「当たったらどうしよう」と気にしすぎて、びくびくして出歩いたり、車を運転したりすると、かえって危なく、事故を誘発する恐れもある。

こうなると本末転倒で、気にすればするほど、事故の確率が高まってしまう。

両方とも極端な例だが、日常生活をする上では、その両者の考えがいい塩梅でミックスされることが、有益だ。

つまり、確率論的に0.001%の低い確率なので気にしすぎることもないが、かといって慢心しすぎると、無防備で事故にあってしまうので、心のどこかでたまには、交通事故への注意を気にする、というのが、日常生活を営む上でちょうどいい。

わたしは、ここに占いの意義があると思う。

日常生活を繰り返していると、同じことの繰り返しで、ついつい非常時への備えを忘れてしまう。日頃から「交通事故に注意」と言っていても、そのこと自体に慣れて、お題目を繰り返すことになってしまうのは仕方がない。

ところが、「○○座は交通事故に注意」と言われて、自分が○○座の場合だったら、改めて交通事故に注意しよう、と気を引き締めることになる。

こういった、「日常へのさりげない注意喚起」こそが、占いの役割だ。

このように解釈することによって、占いを過度に信じたりも、過度に否定しなくても済むようになった。

占いは利用するものであって、利用されるものではない。

占いだからと言って、「非科学的だ」と肩ひじ張る必要もなく、お告げとして100%信じ込む必要もない。占いに書いてある言葉は、格言やことわざが載っている日めくりカレンダーのように、日常のアドバイスとしてとらえることが、賢い生活の知恵だろう。

あとは、心の持ちようで、うまく利用していけばいい。

例えば、狭い道で対向車や自転車に道を譲ったのに、相手が礼も会釈もしなかったので腹を立てたとき、ふと

「そういえば占いに交通事故に注意とあったが、このことか。大きな事故でなくてよかった」

と思うことができれば、少しは腹立ちもおさまる。

こういった使い方こそ、占いの本来の利用方法であろう。

 

(どうでもいい補足)
しかし、これまで「金運サイコー」とか「恋愛運サイコー」と言った占いがこれまで私には一切当たらないのは、なぜだろうか。(自分のことを棚に上げ)「だから占いは信用できない」。といった使い方も可能(というか、これが私の支えになっている面もあり・・・)。

 

まとめ
  • たかが占い、されど占い
  • 「交通事故に注意」という占いは誰にでも当てはまる
  • 占いは利用するものであって、占いに利用されてはならない
  • 占いは日めくりカレンダーの格言のように利用しよう

 

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